地元探訪記 Vol.81
『市境を訪れる(1)際波台』
山陽本線と興産道路の立体交差
一般に県境や市境などのラインは、主要な河川や尾根を辿るように設定されます。宇部駅前から小野田駅方面に向かう山陽本線沿いの道は、際波台の前を通って峠に至ります。最高地点付近にある山陽小野田市との市境標識は、山野の尾根ではなく何と橋の上です。南北の尾根伝いを通る興産道路の上を跨いでいるからで、この辺りは古くから何度も地形が改変されたエリアです。
橋上の市境標識
遙か昔、ここは紛れもなく南北に尾根が伸びていました。最初の突破口を開いたのは鉄道です。ここを東西に深く掘り割って鉄道を通したのは明治30年代で、初期はトンネルを掘る計画もありました。他には小野田方面から最高地点付近で現在の宇部駅前と厚南中野方面へ分岐する山道だけだったと思われます。中野へ抜ける道は今も部分的に残っており、厚南村と高千帆村の文字が刻まれた村境の石碑を見つけています。鉄道沿いの道は、昭和中期の道路建設と造成で昔の道筋を失いました。
山陽小野田市側にある古道の入口
興産道路の下をくぐる古道
村境を示す石碑
昭和40年代に鉄道を跨ぐ形で興産道路が建設されました。後に今の際波台が宅地造成され、昭和50年代後半に工業用水管が鉄道の上を跨ぎ、昭和60年代に紅白の重厚な送電鉄塔が南北を結んで現在に至っています。この市境付近で東西は一般道と鉄道で人と荷物輸送を担い、南北は資材と工場群に必要な電力と工業用水を送る重要な交点となっています。
鉄道の上を横切る工業用水管
文責/宇部マニアックス(山本健二)
宇部マニアックス ウェブサイト
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※2023年02月24日に修正・更新した記事です。 お出かけの際はお店の公式サイトやSNSなどで最新の情報を確認してお出かけください。