地元探訪記 Vol.94
『船木鉄道の遺構を探る【万倉】』
線路敷の土手跡
段々と高くなる線路敷跡
船木の町並みからこもれびの郷がある沖田までは、道路に転用されていて鉄道の痕跡は見当たりません。美祢に向かう県道の北側からは線路跡と分かる直線的な盛土が続いています。有帆川を渡る橋は、護岸整備で橋台も取り除かれていました。
有帆川の北側は現在の福間自治会館横で道路を横切っています。ここは立体交差だった筈ですが、南側の盛土は切り崩され橋台の石積みが僅かに残るだけでした。そこより鉄道は緩やかな上りになり、周辺の田畑よりもかなり高くなります。小川を渡る場所に特徴的な高いコンクリート橋台があって、吉部に向かう県道からも見えます。
福間自治会館付近
高い橋台跡
矢矯付近では山間部を掘り割りで通っています。その途中に矢矯駅のホームの石積みが残っています。北側の最初に矢矯川を渡る場所では河床から高さ10m近い所を通っていて、殆ど誰も訪れることがない山の中に高い橋台と石積みが見られます。船木鉄道の最も長い橋りょうの可能性があり、大変な難工事だったことが想像されます。この橋を含めて今富ダム入り口まで少なくとも4箇所のコンクリート橋台が確認できました。
深い掘り割りが続く
矢矯駅のホーム跡
矢矯駅を含めて吉部までの区間は昭和19年に休止となり、同じ年に金属類回収令によってレールも撤去されています。しかし宅地造成などにかからない区間は意外によく痕跡が残っている印象を受けました。
文責/宇部マニアックス(山本健二)
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※2024年03月29日に修正・更新した記事です。 お出かけの際はお店の公式サイトやSNSなどで最新の情報を確認してお出かけください。