地元探訪記 Vol.122
『恩田に史跡が少ない理由』
Vol.113でも書いたように私は松山町で生まれ、幼稚園から成人までを恩田で過ごしました。梶返に生活拠点を移して市内あちこちを探索し始めたとき、昔住んでいた恩田には史跡が極端に少ないことに気づきました。まず恩田にはお寺や神社が殆どありません。清水川バス停近くに恩田河内神社があるだけです。更に不思議なのは、お地蔵様や庚申塚(Vol.53)が見当たらないことです。特に庚申塚は幼少期から全く馴染みがなく、十数年前に初めて庚申とだけ刻まれた石碑を見たとき、その意味が分かりませんでした。
私が子ども会で通っていた恩田公会堂の敷地に恩田山前青年中と刻まれた石碑があります。如何にも最初期の恩田は恩田山と呼ばれていて、住む人は疎らでした。人が増え始めたのは常盤池の築堤以降です。稲作可能となったこの地に琴芝や梶返などから移り住む人が増え、恩田にお寺がないのは各地区の門徒のまま移動してきたからと考えられます。お地蔵様は災害や病気で亡くなった身元不明者を弔ったものが多く、常盤池築堤以前は往来が少なかったのがお地蔵様の見当たらない理由と思います。しかし庚申塚がない理由はよく分かりません。恩田に宗教行事から始まった講があったことは記録されているので、庚申塚が存在はしていたものの明治期以降に撤去されたことも考えられます。





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文責/宇部マニアックス(山本健二)
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※2026年07月31日に修正・更新した記事です。 お出かけの際はお店の公式サイトやSNSなどで最新の情報を確認してお出かけください。






