地元探訪記 Vol.95
『神原通りと楫返通り』
常盤通りに代表されるように、市街部の多くの道が戦災復興で新たに造られたり幅を拡げられたりして現在に至ります。しかし往来需要の少ない道は今も幅が狭く、古地図では聞き慣れない通り名として記載されていることがあります。表題の神原通りと楫返通りもそうです。
楫返通り記載の地図
現在は市道神原町線として管理されているこの道は、参宮道路がまだできていない大正期の地図にも既にみられます。港町市営住宅裏にある南側の端から北へ辿っていて「東 神原町」と刻まれた道標を見つけました。他の面には何も刻まれておらず、いつ頃のものか分かりません。
神原通りにある石碑と東 神原町の文字
国道190号を横切ると、道は直線的に下っていきます。恩田と芝中に分岐する三差路にぶつかり、恐らくそこが神原通りと楫返通りの接合点です。昭和初期の地図でもこの場所は現在と同じ折れ線で描かれています。余談ですが私はこの近辺で生まれ育ち、三差路に面する三角広場(現在は東新川緑地)で遊びました。
直線的に伸びる神原通り
緑橋通りとの交点
三差路と三角公園
これより北側の楫返通りは車の離合も困難な狭い道です。宇部線を横切る踏切は、梶返からやや離れていながら梶返踏切という名称です。道中は殆ど起伏がなく北の端まで見通せる直線路です。終点は琴芝方面からの道と直角に繋がっています。この周辺の碁盤目状に整った路地は、初期の開作に伴うあぜ道由来と思います。
御大師様御堂と楫返通り北端
文責/宇部マニアックス(山本健二)
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※2024年04月26日に修正・更新した記事です。 お出かけの際はお店の公式サイトやSNSなどで最新の情報を確認してお出かけください。